コンビニで500缶のマルエフを手に取り外に1歩踏み出すと、渋谷の深い夜の空から数滴の雨を顔に感じた。そのままコンビニ前で雨をしのごうと思ったが、いつ止むかも分からない雨を待つほど暇でもなければ、心の余裕もなかった。
きっと僕に使われる為に放置されたであろう都合の良いビニール傘を手に取り、道玄坂を下る。俯いて、金の無さを嘆いて、すれ違うカップルとは目を合わせずに、ただ何も無い一点を見つめながら歩いていた。
雨で溶けだした嘔吐物とゴミ袋の山にふと目を向けると、数メートル先を、交通整備されていないインドの道路を渡るみたいに1匹のネズミが歩道を横切っていた。タイミングを見計らってまた1匹渡るのを見終えて、雑居ビルの間に目線を落とすと、もう2匹、人が通り過ぎるのを待っていた。
「どぶねずみも信号待ちをするのか」と、少し笑って通り過ぎたあと、僕は「どぶねずみにも家族はいるのだ」と思った。
信号待ちをしているどぶねずみの所作は、あまりにも人間的な表情がよみとれたし、その目には不安と焦りすらも感じとれた。そこに信号なんてものはなく、あるのは尖ったヒールと硬い靴底だけだった。僕の歩みは変わることなく一定に進み続けていたが、心はその雑居ビルの間に取り残されたみたいだった。
数歩進んで、もう振り返らなかった。背中で傘の骨がぎしりと鳴る。隙間は雨に溶け、さっきの小さな影はもう見えない。背後でビニール袋が擦れる音と、排水口へ水が落ちる浅い音がしてたぶん、彼らは自分たちでタイミングを見つけたんだろう。
道玄坂の斜面は、雨でわずかに速くなる。缶の口に溜まった泡はもう抜けて、マルエフは生ぬるい金属の味だけを残していた。雑居ビルの隙間で動けずにいる二匹は、行き交うヒールと革靴を縫って、ほんの小さな「青」を待ったいたのだと思う。
傘を持ち直す。この都合の良いビニール傘は、誰かが置いていった身代わりで、僕はそれで見えない境界線を引いた。青なんて最初からどこにもなくて、決心したときにだけ生まれる。鼠にも、僕にも。
気づけば、さっきまで固まっていた心がようやく歩調を合わせてくる。コンビニの軒先で雨宿りを選ばなかった自分を、少しだけ許せる。金は相変わらずないし、雨もやむ気はないみたいだ。けれど、それでいい。小さな赤・黄・青を一つずつ積み重ね、時には無理やり色を切り替える。黒く染まるときがあっても、まっさらに白へ戻るときがあっても、かまわない——と、大げさに思案した。
缶の残りを飲み干す。アルミがカランと空洞を示して、遠くの交差点の青に変わる。僕は傘を畳みかけて、また開いた。足元の水たまりに、さっきのこまかい影はもういない。
雨の夜は、不足の上に成り立っている。だからこそ、誰かのための青は、待つものじゃなくて、出すものだ。
そしてたぶん、いちばん先に必要だったのは、僕自身への青だった。
雨のなか、僕は自分に青を出した。
どぶねずみに習った青。美しい青。